2019年5月1日水曜日

遠藤ミチロウさん

遠藤ミチロウさんが 
お亡くなりになりました 



ミチロウさんの存在をはじめて知ったのは 
自分がパンクロックに目覚めた 
中学一年生のこと 

最初はただのキチガイにしかおもえなくて 
しかしそのヴォーカルスタイルや 
パフォーマンスだったり肉体そのものだったり 
作品や存在から漂う詩情だったりの 
唯一無二のかっこよさに次第に打ちのめされていって 
自分のなかの圧倒的なアイドルになり 
すごいキチガイの代名詞でした 



そんなミチロウさんと初共演したのは 
2002年1月名古屋TOKUZOでのステージ 

楽屋に入っていったら 
そこには上半身裸でメイクをしている 
あのパンクアイドルが独りきり 

やや緊張しながら 
「おはようございます」 
と挨拶するオイラに 

「どお、最近、チンコ勃ってる?」 
と鏡越しに笑顔で返してくれたことを 
いまでも鮮明に覚えています 



以来何度か共演させてもらって 
何度か同じ酒席(おたがい飲まないけど)で 
いろんな貴重な話を 
独特の訥々とした福島訛りのやさしい語り口で 
話してくださいました 

それはそれは 
かなり面白い話がいっぱいあるんですが 
そのことについてはまた
どこかのいつかのステージで話します 

震災後に福島での活動を始めたオイラに 
とても心を込めて 
「ありがとう」 
とひとりの福島人として 
お礼を告げてくれたこと 
忘れません 



一度自分が主催した 
「close mike」 
というイベントにも
出演していただいたことがありました 

ミチロウさんに 
イシダユーリさん 
三角みづ紀さん 
不可思議/wonderboyくん 
オイラ

そんな、いまおもえば 
奇跡のような面子でやりました 
見たひとは自慢してください 



ここ数年は 
膠原病、膵臓ガンと 
病気がつづいていて 
何度か電話で 
イベントのことを相談させてもらっていました 

またいつか 
共演させてもらえることを楽しみに 
日々やってきた部分があったので 
やっぱりさびしい… 



ミチロウさん 
あなたのおかげで 
あなたのせいで 

俺は詩人になれたんです 

「そんなことねえよ」 
と照れ笑いされるかも知れませんが 
80年代のスターリンで 
あなたが豚の臓物とともにまき散らした 
あの詩としか形容できない 
よくわからん何かは 

俺のなかで 
よくわからんまま 
強く輝きを増していて 
いまを突き動かしてくれています 



ソロになってからの弾き語り 
ますますパンクになっていくミチロウさんが 
すげえイカしていて 
「こんなことができるんだ!」 
とビビリました 

常に前例のない 
道なき道を示しつづけてくれたこと 
感謝しながら 
これからの現実を生きていきます 



あんまり死んだひとを美化したくないし 
先輩に対して失礼な表現になるのは 
重々承知の上で 
最後に言わせてください 

ミチロウさん
あなたは 
美しかった 
やさしかった 
かわいかった 
そして 

パンク

そのものでした 



ありがとうございました 
ご冥福をお祈りします 


合掌