2019年12月21日土曜日

詩の旅日記⑥(山口〜千葉編)

詩の旅日記①(名古屋~北海道前編) 
http://shijinrui.blogspot.com/2019/12/blog-post.html 

詩の旅日記②(北海道中編) 
http://shijinrui.blogspot.com/2019/12/blog-post_11.html 

詩の旅日記③(北海道後編) 
http://shijinrui.blogspot.com/2019/12/blog-post_13.html 

詩の旅日記④(宮城編) 
http://shijinrui.blogspot.com/2019/12/blog-post_51.html 

詩の旅日記⑤(東京~大阪編) 
http://shijinrui.blogspot.com/2019/12/blog-post_18.html 



…とつづいてきました 
”詩の旅日記”シリーズも 
今回がついに最終編! 

ラストは 
山口と千葉での 
詩の日々を振り返ってみます 

またもや長くなりそうですが 
よかったらお付き合いくださいませ~ 




* 



11/23(土) 
【ランタンポエトリーナイト】 

前回日記の大阪から、息子のあっくんと父子二人でやってきました、中原中也、金子みすゞ、種田山頭火、等など…多くの詩人を輩出した ”詩のメッカ”山口。実は母方の祖母が山口の人だったので、なんの思い出もないはずなのに、どこか懐かしさのようなものを感じたりしています。 
今回の山口での二日間のステージが開かれる経緯を説明するには、チェン・スウリー(陳樹立)という詩人について書かなければなりません。チェンさんの存在を初めて知ったのはテレビでした。「詩のボクシング」の第一回東京大会の模様がNHKで放送されていて、そこに出場していた彼の詩と、その立ち姿に、オイラは一発でファンになったのでした。その翌年、第一回詩のボクシング全国大会で、チェンさんは東京代表、オイラは三重代表の朗読ボクサーとして出会いました。そこからはお互いの企画に呼び合ったりして、なんだかんだで20年近く交流が続いています。 
一見さわやかで礼儀正しい好青年そのもののチェンさんですが、”世の中から取るに足らないと思われているものに光をあてる”、”裏通りからのメッセージに耳を傾ける”、 ”クズ、ガラクタ、くだらないものと云われているものを心から愛す”といった信念の元、ひたむきに活動を続ける相当な頑固者でもありました。 頻繁に会うという関係ではなかったですが、それでも彼がどこかでふんばって生きていると思うと、自分にも力が湧いてくるような、詩人としても、ただの人としても、かけかけがえのない存在でした。 
そうそう、彼がいろんなジャンルのアーティストを集めていろんな企画をする集団「ジャンク派」を立ち上げたときには、オイラも幽霊会員みたいなモンでしたが籍を置かせてもらっておりました。その流れで、彼が出版した渾身の詩集「カフェデリコ・カフェリーニ」では、光栄なことに解説文を書かせてもらっています。 
そんなチェンさんが東京から生まれ故郷の山口へ戻られたのは二年ほど前のこと。お父さまが亡くなられたことがきっかけでしたが、バイタリティーの塊のような彼が田舎でジッとしていられるはずもなく、これまでのライヴ活動や演劇界での経験を活かして「劇団ジャンク派」を旗揚げ。地元のいろんな人を巻き込んで、自分の年齢の半分にも満たない若い劇団員たちと汗水垂らして稽古をし、舞台に立っています。 
そして彼には壮大な夢があります。チェンさんは台湾華僑三世。お爺さまの代に台湾から山口に来られて、中華料理店「蓬莱閣」をオープン。地元の人々に愛されていた名店だったようです。しかし三階建てのその建物は現在空き家となっていて、電気も止めた状態になっています。この場所を、文化都市と謳っているのに映画館がひとつもない山口市の人が身近に芸術に触れられる、映画館・劇場・スタジオ・カフェ・ショップ・ギャラリー・稽古場を兼ね備えた「蓬莱座」として再オープンしたいと言うのです。東京を去る前にチェンさんはオイラにこう言いました。「いつか蓬莱座をオープンするときには、桑原さんと京子さんにこけら落としで公演してほしい」と。 
その言葉を聞いて大変感動したことを覚えています。それからずっとそのことを考えていて、今年の春にパッとこんなスイッチがオイラのなかで光りました。「オープンまで待てないな。もういいや、行っちゃおう!」 
そして迎えたこの日。電気のない、正式オープンするにはまだまだほど遠い状態の蓬莱座を、劇団員の人たちが一生懸命に掃除して準備してくれて、ランタンとロウソクと石油ストーブの灯だけでお届けする「ランタンポエトリーナイト」の開催と相成った訳でございます。 
内容は、一応詩のオープンマイクということにしましたが、集まったお客さんの雰囲気でどうとでも変えてやろうと肚を決めておりました。案の定、ワークショップもやったし、つい数時間前に合流した詩人の大島健夫さんに相づち役を担ってもらいながら、脱線トークも炸裂しました。 
とにかく集まったお客さんが、詩のオープンマイクなんて経験したこともないはずなのに自由な感覚で取り組んでくれて、すごく面白い。既成の詩のイメージに捉われない作品とパフォーマンスの数々。都会のオープンマイクとは一味も二味もちがった、なんだかわかんないけど、まぎれもない詩の原石のようなひとときが、そこにはありました。 
そんななか、昨年まで関東におられて、オイラ&イシダユーリ主催の詩のオープンマイク「tamatogi」にもたびたび参加してくださっていた、麻生有里さんの姿が。東京ではない場所で聴く彼女の詩は、静かな力強さに充ちていて、普遍と時代の両方を感じさせてくれました。 
世界中のいろんな詩人と交流を持たせてもらっていて、いつもおもうことなのですが、どんなに離れていようが、どんなに時が過ぎ去ろうが、たがいにずっと詩を書いている者同士だからなのか、物理的/時間的な距離感のようなものをあまり感じません。有里さんにもずいぶん久しぶりにお会いしたはずなのに、”あら先週ぶり!”くらいの感覚でした。 
そんな訳で、この日は参加者のなかから「ジャンク派オープンマイク賞」を選ばせていただくことを謳っておりましたので、直感で有里さんに決定!特典は翌日の「2019 やまぐち詩の祭典」への出演権。 
たいそう驚き、「明日、何を詠んだらいいんでしょうか?」と慌てている彼女を見て、”これじゃあ罰ゲームじゃないか”と思ったりもしましたが(笑)、なんだかおたがいにワクワクしている感覚もあふれてきたりしていたのでした。はてさて、どうなることやら?つづきは明日へ~ 



11/24(日) 
【2019 やまぐち詩の祭典】 

そして迎えた詩の祭典当日。会場は、山口県政資料館/旧議事堂。大正五年(1916年)に完成した、築百年を越すなんとも味わい深い建物。 
そんな由緒正しき会場ですが、仕掛人がチェンさんである以上、内容はお行儀のよいものになるはずもなく実に破天荒。ゲストは、オイラに、神田京子(講談)、大島健夫(詩)の三人。それぞれの演目を普通に見せるのではなく、その合間にお芝居が進行していく形式。 
”時は、まもなく22世紀を迎えようとしていた。 科学技術、特にAIの進化は目覚ましく、孤高の科学者ドクトルジゴバは、「人間を超える生命」の創造主となることに心血を注ぐのだった…… ”といった筋立ての元、AIのノノとターターが実際の観客と同じように詩の祭典を眺めながら、その心の変化が描かれていく。途中には、金子みすゞの幽霊が現れたり、エレクトーンの生演奏が入ったり、なんでかわかんないけど突然ダンスタイムに突入したり、もうハチャメチャ。 
そしてオイラはこのイベントでは、ゲストとしての詩のパフォーマンス以外にも、お芝居パートにAIのターター役で出演しているのでした。ちなみに演劇作品に出るのは、2011年横浜BankARTで上演された、平松れい子さん演出の「アンセックスミー・ヒア?」(この作品で西田夏奈子さん、立本夏山くんと出会いました)以来、八年ぶり。 
そういう経緯で11/19(火)に山口入りして、稽古と育児に励む日々を送っていたのでした。合流した初日の稽古では気合いの入りすぎたオイラとチェンさんの声がデカすぎて隣のリハーサル室のママさんコーラスから苦情が出たり、出演者の一部が突然劇団をやめると言い出したり、あっくんを見ていてもらう予定だったシッターさんがインフルエンザにかかり来られなくなり結果稽古を見学していたあっくんが台詞を覚えていっしょに叫びだしたり、それはそれはいろいろなことがありました。まさに事実は小説よりも奇なりを地でいく現場でした。 
そのすべての出来事に対して、演出であり、博士役を演じる、座長のチェンさんは真摯に向き合っておりました。チェンさんのダメ出しは、とても基本的なことを繰り返し丁寧に伝えるやり方。クソ真面目に、まっすぐ。それは若い人たちが仮に演劇を辞めてしまって、別の生き方を選んでも、いつか何かの役に立つ、”生”そのもののメッセージだったような気がします。オイラも若い頃そうでした。お世話になった恩師たちは、芸事を通して、生き方と死に方を伝えてくれていたのだと、今ならよくわかります。だから稽古場や会場でのチェンさんの一言々々が、15歳の初舞台の頃の記憶と重なって、やけにひびきました、 
そんななか、主役のノノ役を演じる、今回が初舞台となる寺崎詩音さんは、初めての演劇体験にとまどいながらも、日増しに成長していきました。人が変わる、輝いていく瞬間に立ち会うのは、やはり、なんとも心地良いものです。自分がなんでオープンマイクやワークショップなどの一般参加歓迎のイベントをやってきたのか、ハッと思い出しました。 
本番。大学生の寺崎さんをはじめ、高校生のキャストもいるし、ダンサーの一人は中学生!子どもと触れ合う現場をのぞけば、これだけ若い人に囲まれてのステージはそうそうないので、とっても新鮮。かと思えば、ダンス指導も兼ねられておられる安田有佐先生のようなカッコいい大ベテランがいたり、音楽監督でもあるクールビューティーなエレクトーン奏者の田村佳乃子さんがいたり、東京の詩の盟友(大島さん)がいたり、おまけに芸人の妻(京子)もいて、息子(あっくん)までいて、もうほとんどカオス状態に☆ 
何よりもお客さんが柔軟に楽しんでくださって、とってもあたたかかったです。芸術を小難しくではなく、わかりやすく楽しんでもらおうというチェンさんの演出意図がしっかりと伝わっていました。オイラは芝居も、詩も、全身全霊を込めて、楽な呼吸でやらせてもらいました。そして、”もっと、観る人聴く人感じてくれる人が楽になってもらえる詩人となれるよう精進しよう”、そんなことを誓ったステージとなりました。それだけお客さまと共演者・スタッフの皆さんと駆け抜けた時間が楽しかったのです。 
昨夜急遽出演が決まった有里さんは、早めに現場に入って準備をしてくれました。前半にぎやかに進行していった舞台に、彼女の日常と非日常の狭間のようなトーンは、イベント全体の時間の流れから見ても、とても重要なひとときでした。お客さんも詩の幅広さや奥深さのような部分を感じてくれたとおもいます。 
大島さんは、奥さまが山口出身ということもあり、この地に対していろいろな思い入れがあるのでしょう。これまでの詩の旅で何度も共演してきた彼とはまた趣の異なる朗読を聴かせてくれました。みすゞの詩も詠まれたのですが、しっかりと彼の詩になっていました。東京とかのお客さんにも聴かせたかったなあ。 
デビューの寺崎さんをはじめ、ジャンク派の俳優陣も、本番の魔力を味方につけて、イキイキと躍動していました。まさにライヴな瞬間。有佐先生率いるダンスチームが登場して来るとその勢いはさらに加速。寺崎さ…いやノノと、本気で舞台上で笑い合ったもの。あと観てくれていた人以外にはわからないことを書いちゃいますが、チェンさんの「ウ~マンボっ!」の掛け声は、世界中どこを探しても彼の右に出る者はおりません(笑) 
京子は、詩の祭典ということもあってか、講談「与謝野晶子の生涯」を。普段なかなか寄席芸を生で味わう機会のない山口のお客さんに、切れ味鋭く、ときに柔らかく、そこにいた一人ひとりが、己の人生と重ね合わせられる余地のある語りをひびかせておりました。ブラボー母ちゃんっ 
ラストは出演者総出で、チェンさんがメインの声を務める中也の「サーカス」を。高校時代、いつも中也の墓の前で一人で過ごしていたというチェンさんだからこそ詠める、叫べる、伝えられる、詩。お祭り騒ぎと孤独と生と死と幸福と狂気と明日が混在したような詩情渦巻くなか、「2019 やまぐち詩の祭典」はゆあーんゆよーんと幕∞ 
あらためまして、この二日間のイベント、準備段階から出会って関わってくださった、すべての命に心から御礼申し上げます。本文では取り上げられませんでしたが、影の力で支えてくださった各スタッフの皆さんと、チェンさんのお母さまには、格別の御礼を!ほんとうにありがとうございました。 
一週間ぶりに京子母ちゃんに会ってハイテンションなあっくんが、カーテンコールでオイラの衣装の眼鏡を奪い取って掛けて、拍手喝采を浴びるなか、”また、この街に帰ってこよう、ここでやりたいことがある”と、ひそかに決心した父ちゃん詩人なのでありました。 



11/30(土) 
【人(ひと)】 

2019年の秋の詩の旅は、今年大きな台風と雨があって、たくさんの被害が出た千葉の地でラスト。このタイミングで、この土地でやらせてもらえること、その事実をしっかりと受けとめて、全力で臨ませてもらいました。 
20歳代の川方祥大、40歳代の桑原滝弥、60歳代の三上寛による、ライヴ「人(ひと)」 
トップはこのイベントの主催者である、祥大くん。弾き語りと詩の朗読を交互に織り交ぜながらのステージ。これまで彼のパフォーマンスは何度も観てきましたが、今夜のアクトは、入り込みすぎず、かと言って冷めている訳でもない、独特の空気感で気持ちいい。ここ一、二年、地元の千葉にこだわって、わりとハイペースでイベントを企画してきた彼。もしかしたら、そんな彼だからこそ辿り着いたこの夜の境地だったのかも知れません。 
つづいてはオイラ。はじめて観てくれるお客さんが多かったけど、みんな勝手に楽しんでくれているようだったので、こっちも勝手にやらせてもらいました。勝手と勝手が勝手に出会って勝手にノリが生まれて勝手よりももっと自由な”詩”ってやつが現れたよ、そんな感じのライヴになりました。なんていうか、言葉にするのは難しいんだけど、これまでのステージも含めて、千葉のお客さん特有のライヴの味わい方のようなものがある気がしています。緊張感とアットホームさが混在したような空気感なんだけど、それがオイラは大好きです。 
トリは寛さん。ここ数年、文芸誌「東京荒野」にお互い原稿を書いていて、その親睦会で年に一回はお会いしていたので、すっかり忘れていたけど、ライヴで共演させていただくのはなんと14年ぶり!バンドをやっていた10歳代の頃から聴いていて、ライヴにも何度か足を運んだ寛さんを久しぶりに観させてもらいましたが、いやはや、スゲエことになっていました。変わらない部分と、変わりまくっている部分があって、以前とはまたちがう刺さり方で、こちらに歌が届いてくるのです。 
基本的に、曲の時以外も、何かしらギターを爪弾きながらMCをされるのですが、曲も喋りも入り方がノーモーションで自然すぎて、もはや区別がつかない。なんだか昭和の名人の落語を聴いているような感覚になりました。まもまくデビュー50周年とのことですが、こんなことになっていくんだなあ…進化?深化?いろいろ頭を巡らせていたら、そんな言葉はないのかも知れないけど、”真化”という二文字が浮かんできました。 
出演者各45分間のステージは、お客さんの呼吸も混ざり合って、とても濃密なひとつのライヴとなりました。まさに”人(ひと)”の瞬間。それを可能足らしめたのは、会場の「カフェ平凡」の場力があってこそのものだとおもいます。店主の岡さん夫妻をはじめ、あらためて、この夜この場に集ってくれたすべての”あなた”に感謝をいたします。ほんとうにありがとうございました。 
終演後は、青森出身の寛さんにちなんで、岡さんが振る舞ってくださった、津軽の郷土料理”けの汁”で身も心もあたたまって、散会。帰りの列車で、主催の祥大くんと出会ったのが2017年のtamatogiだということを思い出して、長い付き合いのような気がしていたけど、まだ二年しか経っていないことに気がついてビックリ!それだけ濃い付き合いをさせてもらって来たのかも知れません。祥大、ありがとうよ! 
思い返せば、そんな濃い付き合いをしてくれる人が、いつも、どこかに、必ずいてくれて、オイラの詩の旅はつづけてこれたんだなあ。ほんとうにしあわせなことで、”ありがとう”という言葉しか出てこなくて、それじゃ伝えきれないおもいがたくさんあるから、また新しい詩を書いて、会いにいきます。 
という訳で、この秋の詩の旅日記は、これにておしらき。さあて、次はどこいこっかにゃ?退屈している奴はいないかい?いつでも詩人がそんなもんぶっ飛ばしに行くから、待ってておくれ~~~




* 



それではまた 
”生”でお会いしましょう 



◎ご予約/あとちょっとだけ受付中!!! 

桑原滝弥・東京生活ラストLIVE 
【また、あう詩まで】 

12/24(火)20:00~ 
東京・クロコダイル 


「かるがるしく詩人となのりなさい」 そう叫びつづけてきたわたしの、新たな旅立ちに向けての独り舞台。新旧作織り交ぜながら、ソロでたっぷりと二時間、”詩”つづけます… 
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