2015年11月15日日曜日

ぼくはミーを愛しています

あれは17歳の丁度いまくらいの季節のこと 
もう、そのときは実家を出ていて 
名古屋で芝居やらバンドやらをやっていたんだけど 
たまたま何かの用事があって帰ったことがあった 

家には祖父と祖母と母がいて 
それから7歳のときから一緒に育った 
”ミー”という名の雌猫がいた 
そのミーが久々に会ったら 
年老いて病気になっていた 
咳き込んで苦しくて身体中を掻きむしるせいで 
至る所の毛が抜けて血だらけになって横たわっていた 
かなり夜遅くに帰ったので 
家の者は皆寝ていたと思う 
変わり果てたミーの姿を見て 
一人狼狽したのを覚えている 
そのときのオイラは 
髪の毛を緑色に染めて逆立てていたんだけど 
ミーはオイラに気付いて 
小さい頃にいつもそうしてくれたように 
指先をペロペロと舐めてくれた 
立ち上がる力もなく 
ゼエゼエいって辛そうな息遣いだったが 
まるでオイラに”おかえり”と言っているかのようだった 
オイラは傷口を避けながらミーを撫でた 
時々発作のような激しい咳が出るので 
””よしよし”と言いながらゆっくり撫でた 
頭にそっとキスもした 
それでも咳はどんどん酷くなっていって 
何かを吐こうとするんだけど吐く物がなくて 
空回りしてもがいていた 
やがて直視できないほどの苦しみようになってきて 
七転八倒とは正にこのことだと思った 

オイラは泣きながら 
天に向かって訴えた 
「お願いです 
 ミーを助けてください 
 死なせないでくれとは言いません 
 寿命ならばそれも仕方ありません 
 ただ、こんなにも苦しめないでください 
 ぼくで変われることなら何でも変わりますから 
 ミーを安らかに旅立たせてあげてください 
 ぼくはミーを愛しています 
 お願いします 
 お願いします 
 お願いします・・・」 
そんなことを声に出して言った 
それからミーの発作が少し落ち着いて 
オイラも泣き疲れてそのまま隣で眠った 
お互いが子供だった日々 
いつも一緒に眠りに着いていたあの頃のように 


詩人として 
原稿を書いたり 
ステージに立ったり 
企画を練ったり 
いろんな人や場所と出会ったりする毎日の中で 
最近何かが足りない 
忘れているものがあるんじゃないかと考えはじめ 
この17歳の出来事を思い出しました 

あのときのオイラは 
100の能力があったとしたら 
その能力をすべて使って 
(或いはそれ以上のパワーを発揮して) 
ミーの幸せを祈っていました 
自分でも振り返ってみてビックリなんですけど 
たしかにそうしていました 
その夜の一瞬だけだったかも知れませんが 
自分を投げ打って 
自分にしかできない 
純度100の祈りを捧げていました 

これから先も 
さまざまな依頼や要望に応じて 
異なるテーマやシチュエーションの 
詩をつくりご披露していくのでしょうが 
この17歳のときの祈りの感覚・トーンだけは 
忘れないでやっていきたいです 
これはけっしてハートウォーミングが主の話ではなく 
それっぽく頑張っているように生きて 
気付いたら虚しくて消えたくなったりしないための 
どこから集中して事に当たるのかという 
目に見えないファイティングポーズの話です 
あなたの源流にはどんな祈りが流れていますか? 
わたしの源流には他には何があったかなあ? 


ちなみにその後のミーは 
もう助からないだろうという周囲の予想を覆し 
翌朝から急に回復をしはじめて 
半年くらい元気に生きて 
ある日コロっと旅立ちました 
死に目には会えませんでしたが 
ずいぶんとおだやかな顔をしていたそうです



* 


さて、既報の通り 
月末はいわきへまいります~ 

11/28(土)ゲスト出演する 文化フォーラムは
観覧募集を締切ましたが 
もう一本! 
一般公開されるイベントがあります 

タイミングの合ういわきっ子は 
あーたまっていったらがっぺ? 



「和・輪・話 之 御縁 ~WA・WA・WA-no-GOEN~」 

【日時】11月25日水曜日20:00~ 
【場所】いわき市鹿島町 こせき接骨院 
https://www.facebook.com/koseki.net/
【内容】吟遊講談演奏会 
【定員】30人 
【木戸銭】2000円 

和やかに、輪になって、わいわい話しましょう! 
講談師の神田京子さんと詩人の桑原滝弥さん 
フルート奏者の市島徹さんによる即興があります