今日は予告通り
このあいだの広島ツアーの模様を振り返ってみたいと思います
ちょっと長くなるやもですが
お付き合いいただけましたら幸いです~
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11/5(月)
「国際平和のための世界経済人会議」トークセッション
~広島国際会議場~
主に経済の側から平和を考えてみようという試みの「国際平和のための世界経済人会議」
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毎年この時期に広島県が中心となって開催されてきた本会議は、ビジネス、テクノロジー、エネルギー、環境、教育などの、それぞれの分野のスペシャリストが登壇してのトークセッションやワークショップ、パフォーマンスなどが行われてきました。
で、今年は新たに、アートとスポーツが加えられることになりまして、オイラはアート部門のトークセッション”アートによる社会への働きかけを通じた平和の実現”に、詩人として話してくれと声を掛けていただいて登壇することとなったのでした。
登壇者はオイラのほかに・・・
宇野常寛(評論家, PLANETS編集長 )
関根健次(ユナイテッドピープル株式会社 代表取締役、一般社団法人 国際平和映像祭 代表理事、ピースデー・ジャパン共同代表)
林千晶(株式会社ロフトワーク代表取締役)
谷崎テトラ(作家、音楽プロデューサー、京都造形芸術大学教授)
・・・といった方々。
林さんがモデレーターを務められ、各々が意見を述べ議論していく形なのですが、これがなかなか熱いセッションになりました!
平和への行動を喚起するアートの可能性と、平和だろうが戦争だろうがそこへ向かう人間の在り方を問うアートの役割について、ふたつの意見がわりと真っ向からぶつかりあって、人間くさい対話が生まれた気がします。
オイラは冒頭の自己紹介で説明を入れずに詩を朗読して、あとは議論に関しては流れにまかせていたのですが、意見としては主に後者のアートの役割について話しました。
普段から言っていることなのですが、人間のどうしても拭い去れない悪性というものを転化して、美しいものや面白いものを生み出して、何かしらの真理に迫るのが芸術なので、平和という概念に取り組むことは有意義だが、そこでちょっとでも良いことをしていると善性を鵜呑みにして気持ちよくなったり、個人・孤独という本分を忘れて、”みんなのため”的なフレーズを安易に使ってしまえば、それは戦争で”正義のため”とか言って、何人殺しても平気な人間を生み出す精神構造と変わらなくなってしまうというもの。
ただ、トークセッションをしていて険悪な雰囲気だったかというとそれほどでもなくて、各々の意見とは別の、その人がこれまで生きてきて必死に紡いできた息遣い、語り口、トーンといったものが、それぞれオリジナリティにあふれていて、気がつけばオイラはお一人お一人のことがとても好きになっていたのでした。
そのなかでも特に宇野常寛さんは抜群に面白くて、鋭い洞察力で人間や世界の機微を捉えて、独創的な視点でそれを何にどう繋げるかということを発想されていて、ほんとうに素晴しかったです。批評家、文筆家、編集者、ただのひと…として、久しぶりに気骨のある人と出会えたなあと、なんだか嬉しくなっちゃいました。
このトークセッションの動画はいずれ公開されるようなので、またこのブログでもお知らせしますので、よかったら観てみてくださいね。
セッション後は、場所を国際会議場からおりづるタワーへ移してレセプションへ。
ここでは他の各分野の登壇者や参加者の方々とざっくばらんに交流。いわゆる平和集会のような場とは異なり、それぞれ価値観もライフスタイルもバラバラな人たちが集まっていて、風通しがよくて楽しかったです。
基本的に詩でも音楽でも社会問題でもなんでもいいんですが、みんながおんなじような雰囲気を醸し出して仲良くしている空間が苦手なので、このゆるやかにそれぞれが別の方向を見ているカンジが心地よかったです。それってもしかして、平和というものを考えて取り組んでいく上でも大切なことなんじゃないかなあ。
その後はさらに他の場所で深夜まで”ナイトセッション”が開催されていたようですが、いくつか他の仕事を抱えて広島入りしていたのと、翌日のパフォーマンスに備えてお先にお暇しました。さあ、明日もヤったるぜい!!!
11/6(火)
「国際平和のための世界経済人会議」アフターパフォーマンス
~広島国際会議場~
そんなワケで今日はライヴ。
湯崎英彦・広島県知事と、経済学者のジャック・アタリさんによる閉会式の余韻の覚めやらぬうちに、オイラが壇上に上がりゲリラ的にアフターパフォーマンス開始っ
平日の昼間だというのに、時間を調整して来てくれた人、さらに遠方から駆けつけてくれた人もチラホラ。
かと思えば、そんなパフォーマンスが行われるとはつゆ知らずに、たまたま居合わせてびっくりしている人もいたりして、その温度差が面白い。
うむ、今日もみんなちがった方向を見たまま付き合ってくれ。詩はそのためにあるのだから。
このパフォーマンスでは、翌日の豪雨被災地へのライヴとともにオイラがお誘いして、関東からはるばるやってきてくれたふたりの詩人が登場。
前日のトークセッションではスタッフも買って出てくれた”向坂くじら”さんは、二日間の会議の熱をいっぱい吸いこんだ上での、鮮度の高いパフォーマンスを披露。
お客さんを舞台に上げてのワークショップ的なアプローチや、手話を交えての朗読などバラエティに富んだ内容のなか、どこか一本芯の通った”くじら節”を響かせてくれました。
続いて登場の”大島健夫”さんは、くじらちゃんとは対照的に、前夜東京で主催イベント「SPIRIT」を終えて、早朝のフライトで広島入りしたばかり。
しかも空港から会場へのバスが渋滞に巻き込まれて予定より遅れての到着。ペースが乱れてもおかしくないところを、いつも以上に落ち着いた、重厚と表現したくなるようなパフォーマンスで魅せてくれました。
こちらは直立不動で二本の足で突っ立ち、ほとんど声音も変えずに淡々と、詩の朗読のみを聴かせるスタイル。
乱暴に分ければ、”動のくじら/静の健夫”といった趣き。はじめて詩のパフォーマンスに触れたであろうお客さんの表情が、「へ~、詩っていろいろあるんだなあ」と目をパチクリさせて興味深そうに観られていたのが印象的でした。
で、オイラは何をやったのかなあ。あんまり細かいことが思い出せないんだけど、最初わりと怒ってはじめた気がする。
イベントの時間が押していたので、その単純な苛立ちを利用して、ある思考に転化して舞台に立ちました。
つまりは、こういう会議が行われることは素晴しいし、ここに集まってくれた人たちのことは誰ひとり嫌いじゃないんだけど、結局平和なんか生み出せなくて、何かしらの問題に直面しないかぎりは他人事でどうでもいいことで、差別もイジメも強姦も搾取も偽善も戦争もなくせやしなかった人間存在…つまりはこれまでいい加減に生きてきた己自身に腹を立てるという立ち方。
平和会議に出て意識を高くしたからヨシとするんじゃなくて、この会議場から一歩外に出た瞬間からがほんとうの勝負なんだぞ、桑原滝弥よ、と。
それと、詩のライヴを提供する側としては、詩の送り手と受け手のあいだにほどよい距離感ができていて、芸術をある種の余裕を持って鑑賞する空気に包まれていたので、本来ならばそれはよいことなんだろうけど、これはアートイベントではなくて、「国際平和のための世界経済人会議」のアフターパフォーマンスに呼ばれて舞台に出ているということを考えました。
ならばもっと不細工に、空気を読まずに、己も観客も傷つくパフォーマンスの入り方…安心して観ていられるプロの表現者としてではなく、ちっぽけで不安定な”ただのひと”として客席と対峙したくなったのでした。
「戦争を失くしたいなら、戦争よりももっと強い悪を持って、平和に向かわなければならない」というようなことを言ったっけ。詩は感情よりも深いところからうたうものなので、詩に入る前のMCはことさら感情に揺さぶりをかけたかったのかも知れません。
気がつけば、お客さんの目の色が見る見る変化していくのがわかりました。特にスタッフをやってくださっていた県庁のみなさんの目に強いものを感じました。
あとはただ、駆け引きなしで、無心に詩を詠みました。
終演後、いろいろなお客さんが声を掛けてくださって、それぞれの感想を聴かせてもらいました。
また、帰り際にイベント全体の写真撮影をされていたスタッフさんに、「二日間で一番楽しかったです」と声を掛けていただいて、オイラにとってはそれが、この日の勲章でした。
お客さんやオファーをくれた主催責任者の方に、何かしら楽しんで、喜んでもらって、物質ではない”無形の何か”を持ち帰ってもらうことは、こういう場に呼ばれた者の使命。
だけどそれだけではなくて、たまたま仕事の一環として関わることになった、オイラや詩にまったく興味のなかった現場の一人ひとりのスタッフさんに、仕事目線からちょっとでもはみ出して”何か”を味わってもらえたとしたなら、プロとかアマとかを超えたもの(あるいはそれ以前の段階で成立するもの)であるはずの詩のライヴを提供する者として、詩本来のエネルギーを輝かす仕事とあそびができた証だとおもえるのです。
何より県庁をはじめ、スタッフの方たちがとてもあたたかった。自分のなかでは、役人ってもっとお固いイメージだったりしたのですが、県民性なのでしょうか、広島県の人たちは、めっちゃ気さくで明るかった。なんか国際会議場なのに、親戚の家にでも遊びに来たような感覚になりました(笑)
会場を出たあとは、大島さん、くじらちゃんに、スタッフとして東京から駆けつけてくれたKくん、大島さんの大学時代の後輩で広島市在住のIくんと合流して、明日のボランティア公演の会場探しなどでご協力いただいたAさんと会食。
Aさんは広島市の隣の呉市の豪雨被害の甚大だった地域にボランティアとして何十回と足を運ばれていて、現在もその活動を続けられています。
豪雨のあと二週間、水がなかなか引かなかったこと。それからの土砂を出す作業の大変さ。そしてすこしづつ復旧しながらも、また新たに芽生え出したそこに暮らす人々の感情の問題など。
通いつづけた者でしか語れないお話をたくさん聴かせていただきました。けっして深刻にならずに、あくまで日常的なトーンで語ってくださったことが、逆に災害の過酷さが身に迫ってくるような気がしました。
よし、明日もとにかく出たとこ勝負。出会える人と、ちゃんと、とことん、出会うぞ~~~
11/7(水)
「わくわく楽しい詩のライヴ」ボランティア公演
~呉市天応地区仮設住宅~
というワケでやってきました呉市天応地区。
七月の西日本豪雨では大きな被害があった地域で、家屋が全壊するなどした方たちが暮らされている仮設住宅におじゃましてのライヴ。
川の堤防や、崖の斜面など、街並の至るところに、まだ災害の生々しさが残っていました。
仮設住宅の談話室でのお茶会の時間にライヴを実施させてもらうので、会場が手狭ということもあり、目の前の海を控え室代わりにして、各々準備に取りかかりました。
広島滞在中はずっと晴天で日差しが強く汗ばむくらいだったのですが、この日もほんとうにいい天気で気持ちよくって、海がおだやかでまぶしくて、どこまでも美しかったです。
そのやさしい海を見つめながら、自然の厳しさ、無常さを思い起こし、自分はこの”いま”という時空から、何を受け取ればよいのか、差し出せばよいのか、そんなことにおもいを巡らせました。
そうこうするうちにあっという間に本番の時間。さ、もう理屈はいいから、とにかく楽しまなくちゃ。たがいの生命を躍動させあおう!
ライヴがはじまって感じたことは、みなさん、とにかく元気。広島市の人たちもそうでしたが、呉市の人たちはさらに輪をかけて自由でパワフル。そして口が悪い(笑)
くじらちゃんが自己紹介で、「わたしの母は石垣島出身で…」と話すと、目の前のおばあちゃんがすかさず「雑種?」と切り返す有様。
字面に起こすとなんだかひどいカンジがしますが、底抜けに明るくてあったかい人柄から発せられるので、ぜんぜんイヤミじゃなくて、むしろやさしい。その証拠に、ライヴ後の懇親会でくじらちゃんとそのおばあちゃんは特に仲良しになっておりました。
また、大島さんがお客さんと同じ目線で詩を詠もうと、みんなの前にどかっと座り込んでも、まったく恥ずかしがることなく、逆に身を乗り出すくらい。
ちょっとこれまでにないノリの客席だったなあ。なんか日本じゃないみたいな、ラテン系のような雰囲気でした。あ、呉のみなさん、これは褒め言葉ですからね、あしからず、テヘ。
で、前日のアフターパフォーマンスと併せてご一緒した大島さんとくじらちゃんとは、昨年の同じ時期に福島県の震災で被災された方々のコミュニティの場を数日ツアーをしたことがありまして、そのこともあって今回声を掛けさせていただきました。
オイラは自分仕切りのイベントにどなたかに出てもらうとき、ぼんやりおまかせのようなことはしたくなくて、こんなことをしてほしい、考えてほしい、こんなことはできるだろうか…等々、あれこれ要望を伝えることが多いです。
それは、何よりもお客さんに幸せになってほしいからなのですが、同時に共演するその人の潜在意識にできるかぎり迫り、刺激して、そのことにより自分も刺激され、追いつめられ、本番という解放のひとときに、お客さんが刺激され、詩というエネルギーの循環がより広く起きることを目指しているからです。
つまり、自己と他者の境界を超えても、怯えることなく、脅かすことなく、より自由に、因果の芯を捉え、高め合えることが、詩というよくわからないものを通してできるんじゃないかと信じているのです。
こんな変な考えを持っている、しかも伝えるのがヘタなオイラの投げかけに、大島さん、くじらちゃんは結構悩まれたことでしょう。ときにはプライドが傷ついたこともあったとおもいますし、オイラに腹を立てたこともあるかも知れません。
それでもふたりは、オイラの信じる光のようなものを一緒に探そうとしてくれて、特にこの日ライヴでは、これまでとはまた別の次元の輝きを本番中にしっかりと掴んで、解き放ってくれました。それは一見詩とはまったく関係のないような瞬間だったりしたのですが、だからこそ、それは何よりも、詩でした。
あらためて、大島健夫さん、向坂くじらさんという、ふたりのまぎれもない”詩人”に感謝いたします。
そして、そんな瞬間を可能足らしめた、いまも、被災という日常を、愛ある眼差しを持って、自然とともに生きていらっしゃる天応の方々に、格別の御礼を申し上げます。
ほんとうにありがとうございました。
また、いくからね。また、やろうね。また、きっと
~あとがき~
呉での公演のあと広島市に戻り、スタッフのKくんも交えて、適当に入ったお好み焼き屋さんで、そのあまりの美味しさにメンバー一同、狂喜乱舞の舌鼓を打ちました。みなさん、やっぱり広島のお好み焼きは、広島で食うにかぎります!
その後、新幹線で一足早く帰京するKくんを見送って、大島さん、くじらちゃん、オイラの三人は、今回のツアーで何かと応援をしていただいた広島在住の詩人・Uさんと地元のバーへ。
そこでは広島っ子のあいだでは有名なB級グルメ”ウニホーレン”をいただきました。文字通り、ほうれん草の上に、ウニを乗っけた食い物なのであるが、これがまた美味!結構好き嫌いが別れるらしいが、オイラはイケるなあ、ウニホーレンっ
で、そのウニホーレンを頬張りながら、この三日間のツアーのことをあれこれ考えている自分がおりました。
平和について語りあったこと。平和の詩を詠んだこと。仮設住宅でみんなで笑ったこと。
大島さん、くじらちゃんと、詩の話や、詩以外の話をたくさんしたこと。仲間でなく、ひとりぼっちの詩人同士として向き合えたこと。
オイラを平和会議にブッキングしてくれたFくんの眼差し。会議前日に第一子が誕生して、いちいちドラマティックだったけど、とにかくおめでとう。
Kくん、Iくん、Aさんと話したこと、そして目の前のUさんがいま話してくれている命の話。
ふれあった街のひとたち。お客さんの顔、顔、顔…そして、この地の光と影。
二日目のアフターパフォーマンスのあと原爆資料館に行って見たものは、いまでも自分のなかでうまく咀嚼できずに、うずきつづけています。
原爆の落ちた場所で、トークをし、パフォーマンスをし、人と自然と交流を持ったことを忘れずに、詩人として、ただのひとりのにんげんとして、これからこの世界に、どんな切り口で何をすべきか、しないべきか、考えて、感じて、生きていきます。
平和会議の話をもらったときと、その後西日本豪雨が発生したときに、「詩に何ができるのか?」と己に問い掛けつづけてきましたが、旅の終わりにこんな答えが浮かんできました。
「どんなときでも、どんなところでも、今日、出会った人とのあいだに、詩を生みだしていく…それが、詩にできること」
最後に、今回のツアーで出会ったすべての人に、あらためて御礼申し上げます。
また、呉市天応地区でのライヴでは、普段からオイラのイベント会場に設置している活動支援金箱に、お客さまが入れてくださった”志”を活用させていただきました。
呉市社会福祉協議会のOさん、仮設住宅の皆さんに周知するためのチラシを作ってくれた詩人類スタッフ”かほり”にも感謝いたします。
おれ、まだまだやりますから、やれますから、これからも何卒よろしくお願いします。
ありがとう∞
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【桑原滝弥・今後の予定】
11/23(金祝)19:00~
イベント「朗読をキライにならナイト」
滋賀・半月舎
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11/24(土)14:00~
イベント「赤ちゃん返り朗読会」
京都・かぜのね
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11/25(日)発売
雑誌「シェルスクリプトマガジンVol.57」
発行・USP研究所
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12/9(日)13:00~
イベント「tamatogi 2018」
東京・シルクロードカフェ
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1/12(土)16:00~
イベント「PATCH WORDS」
千葉市生涯学習センター 小ホール
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